長男、発達障害かも?と思うまで(1:乳児期〜)

発達凸凹
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現在6歳の長男は、おそらく何らかの発達障害(らしきもの?)がある。
まだ正式な診断には至っていないが(現在受診中)、OT(Ocupational Therapist 作業療法士)さんにもSensory Seeking(感覚探求)は確実ですね、と言われた。
(感覚探求とは、通常の刺激では脳が満足せずに、より大きな刺激を求めること。長男の場合は触覚や運動の探求があるので、親に飛びついたりもたれかかったり、部屋の中を移動するだけでも家具から家具へと飛び移ったりが四六時中続く)
現時点で、一番濃厚なのはギフテッドと言われているが、発達障害を伴う2E(Twice Exceptional)、ADHD、ASDなども、小児科医の作ってくれた疑いリストに入っている。

これから少しずつ、もしかして発達障害かな?と思うに至った経緯を記録していこうと思う。

産まれてすぐに周囲を確認した息子

私たち夫婦は晩婚だったため、結婚後1年ですぐに人口受精→体外受精と妊活を進め、2回目の胚移植で授かったのが長男だった。妊娠当時、私は39歳。しかも体を使う仕事だったためか、産休に入ろうと思った矢先に切迫早産で絶対安静となってしまい、数週間前倒しで産休突入。産休に入ったらやろうと思っていたあれこれも全く出来ないまま、出産となる。幸いにも入院には至らず、自宅安静のまま正期産に入り、予定日よりは少し早かったものの、長男は健康な状態で産まれて来てくれてひと安心。

待望の第一子で、立ち会った夫も涙を流して喜ぶ中、産院の方針で出産後すぐにカンガルーケア。産まれて5分もたたない新生児を胸に抱えて、感動と疲労にどっぷりと浸かっていたその時のこと。私の胸の上、まだ体もぐにゃりと柔らかく、顔を横に向けたままうつ伏せに丸まっている赤ん坊が、おもむろに自分で首をぐいっともたげ、まるで周囲を確認でもするように頭の向きをぐるりと変えたのです。ぼうっとした頭の片隅に湧いた、突然の違和感。
「あれ?今、頭の向き変えたよね????見間違えじゃないよね?産まれたばかりの赤ん坊って、首座ってないんじゃなかった?こんなことできるの?」
と、夫に確認。
「う、うーん。どうだろう。出来ないと思っていたけど、よくわからない…。もしかしてできるのかもね。」
とにかく何もかも初めてのことで、何もわからない私たち夫婦。まあそんなこともあるもんかねーという感じで、そのこともしばらくは忘れていた。
けれど、今思い返すと、これがおそらく、一番初めに目撃した多動行動だったような。
産まれた時から今に至るまで、長男は常に全力。やりたいことがいっぱいで寝る時間はもったいなく、いつだって身体か脳のどちらかがフル回転していないと落ち着かない子供なのだ。
おそらくこの時も、自分の全感覚をフルに使って、自分に起こった大きな変化の原因を探ろうとしていたのではないかなあ。

眠らない赤ちゃん

発達障害の子どものあるあるかと思うのだが、とにかく眠らない子だった。
5歳半でニュージーランドに引っ越して来てから、やっと朝まで通して眠ることが増えてきたが、それまで、眠らない、寝てもすぐに目が覚める、幼児期になっても夜中に必ず何度かは目を覚ます、という子どもだった。
眠るのが嫌いとはいえ、本人も寝不足になるので、目の下に真っ黒なクマを作り、大きな目を爛々と光らせて動き回っていた乳幼児期…。そのうえ、夜中でも朝でも、目覚めた時に近くにママがいないと癇癪を起こすので、私は5年間もの間、夜間にほとんど自分の時間が取れず、「子供が寝たらあれやこれをやる」という他のママたちの話を、いつも羨ましく聞いていたものだった。
寝かしつけもとても大変だった。
バギーや背中トントンでは寝れるわけもなく、毎回抱っこもしくは添い乳で寝かしつけ。しかし、抱っこはベッドに置く瞬間に、添い乳はおっぱいを離す瞬間に、目が覚めてしまうことが多く、親も本人も目の下にまっくろいクマを作る日々。思い出すだけでなんだか辛くなるあの日々よ…。

バギー嫌い

とにかく抱っこをしてもらいたがる赤ん坊だった。バギーに置くと何分でも泣き続けるので、抱っこ紐で抱っこをして、荷物をいっぱい積んだバギーを押して歩くのが、いつものスタイル。そのうち泣き疲れるだろうと、心を鬼にして泣かせたままバギーに乗せたこともあるのだが、あまりに大声で泣くためすれ違う人にジロジロ見られるのが恥ずかしく、やがて諦めた。
今思うと、感覚過敏なので音も光も強烈に感じていたのではないかなーと思い当たる。
前にも横にも遮るものがないバギーにくくりつけられて、ピカピカチカチカざわざわとする場所をぐいぐい進むのは怖かったろうな。抱っこされている安心感だけが、感覚の拠り所だったのかも、と思うと、あれこれ試したトレーニングまがい(泣いてもバギーで我慢させてみるとか)のものも、なんだか可哀想であった…。すまぬ。(でも私も限界近かったよー)

感覚過敏?感覚鈍麻?

「赤ちゃんは繊細です。」「赤ちゃんには個人差があります。」とは、どの本にも記事にも書かれていることなので、うちの子は繊細なのねくらいに思っていたのだが、やはり色々と全体的にしんどい乳幼児期だった。
まず、耳が繊細で、小さな物音で目を覚ましました。掃除機、ドライヤー、お店のトイレにあるエアータオル、全て泣いた。起きている間は大きな物音を立てぬよう、寝た後は隣の部屋での会話さえもひそひそ声にしていた。(古い家で壁が薄かったのもあるけど)
眩しい光も嫌いで、顔に夕陽などが当たると泣く(しかし感覚探求もあるため、周囲が見えなくなっても泣くのでカバーをかけたり出来ない)ので、道のサイドを変えたり、抱っこして後ろ向きに歩いたり、バギーを後ろ向きにひっぱたり、工夫が必要だった。
バスに乗るときは絶対に抱っこを要求されるのだが、抱っこでバスの振動を感じるのが好きなようで、抱っこしていてもバスが止まるたびに泣く。信号があるたびに
「赤にならないでー!青のまま止まらず進んでー!」
と、心の中で祈りながらバスに乗っていた。思えば、これも感覚探求だったのだろうな。
噛み癖も酷かった。授乳中に乳首をよく噛む子だったので、ずっと痛みを我慢しながら授乳していた。何度か、もうもげる!!と泣いて叫んだこともある。
また、気に入らないことがあると、抱っこをしている私の肩や腕をガブリと噛む。
歩けるようになると、後ろから抱きついてきて裏モモあたりをガブリとやることも多かった。
ある夏の時期、私は肩から鎖骨、二の腕にかけてものすごい数の噛み跡で紫になっていたことがあり、DV被害者のようだった。(ある意味DVか?)
これも、感覚過敏による不快の表現と、口の感覚探求(その後、爪、服の袖、コロナになってからはマスクなど、噛み癖は続行中)だと思う。

振り返って思うこと

今思うと、聴覚過敏、視覚過敏、触覚鈍麻による感覚探求、全てこの頃に始まっていた。
育てにくいな、しんどいな、と思いながらも、「赤ちゃん、ほんと大変だよねー。うちも大変だよー。」と言うママ友の言葉。「それぞれ個性がありますからねー。お母さんみんな大変ですよ頑張ってくださいね。」と言う保健士さんの言葉などを聞き、「そうかみんなも頑張ってるなら私も頑張るしかないよね」と思って踏ん張ってきた。
うちの夫は全力で育児参加型なので(第一子が産まれた後1ヶ月は仕事を休み、その後も1年くらいは仕事量を半分くらいにしてほぼ毎日家にいてくれた。フリーランスだから出来る。)、病むことはなかったが、ほとんど毎晩、夫婦で夜中に何かおかしいのでは?と、息子会議を開いていた(息子会議は今でも続いているけど)。
次男(定型発達)が生まれてから「なにこれめっちゃ楽ちん!!??」となり、そこで初めて、多くの人々の「大変さ」はこの程度?だった(のかも)と知った。
「全然違うじゃん!!詐欺にあった気分だよー!!大変さを分け合えてなかったよ全然!」
と言うのが、気付いた時の心の叫びだ、あの頃のママ友たちよ。(誰も悪くないんだけども)

次回は、幼児期のことを書くよ。

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