発達障害をどうしても診断したかったわけ

発達凸凹
スポンサーリンク

うちの子、なんだかずっと育てにくいし、何かおかしいと思うけど、病院に行くほど深刻でもない気もするし、周囲の人も「考えすぎでは?」と言うし、病院に行く必要ってあるのかな?と思っている方、結構多いのではと思う。私もそうだった。でも今、診断を進めている過程で、すごくスッキリしたような、ぐるぐる回っていた森の中でやっと行き先が定まったような気持ちになっている。なので、今なぜ、私たち夫婦にとって、診断名を得ることが大切だと感じているか、その経過と気持ちを、書いておこうと思う。
(現在は、ギフテッド疑い濃厚と言われたものの、正式な診断待ち。ただの発達障害の可能性もまだまだあると思っている。)

「診断したい」に至るまで

産まれた時からずっと、うちの子って育てにくいよ何かおかしいの?と思い続け、日本で簡単なアセスメントを受けてみてやっと、「診断名が欲しい」という気持ちが夫婦揃って固まった。その流れはこんな感じ。

何かおかしい。(でも母親の考えすぎ?)

ググる。でもわからない。

何かおかしい。(でも父親の考えすぎ?)

本を読む。でもわからない。

何かおかしい。(私たち考えすぎ?)

ググる。でもわからない。

やっぱりおかしい。(でも園では普通って言われる)

病院行く?(いやでもグレーっぽいから診断名つかなそう。それに病院って大袈裟?)

ググる。でもわからない。

意を決して園の担任に園外での動画を見せる。(初めて何か気づいたらしい)

発達支援センターにて簡易アセスメント(やっぱり何かある!でも、医療機関でないから診断はできない。)

言われたことを頼りにさらにググりまくる。

どれもこれも、当てはまるような違うような。

はっきりしないから、対応が決まらずブレブレになる。

スタートした小学校でもなんか辛そう。

もうスッキリしたい!

と、この時点で6歳。
産まれてすぐに「?」と思ってから6年。
歩き話すようになり、さらに深く「?」と思ってから、4年。
保育園の先生に「これは…」と言われてからだけでも、1年かかった。

無理にラベルを貼らなくても、と言われても

診断名をつけてラベルを貼ることによって、親自身や周囲が固定観念を持ってしまう場合もあるし、大切なのは、ラベルに関係なく、必要な支援を与えてあげることでは?
っていうのは、手を変え言葉を変え、本当に何度も言われてきた。
親、友人、区の相談員さん、発達支援センターのスタッフさんにさえも!
それを聞くと「そうなのかな?診断することって親の自己満足なのかな?」って思ってしまうこともあった。でも、長年違和感を感じ続けてきた。毎日毎日、本当に毎日、息子のことについてネットで調べなかった日なんて1日もないと思う。
(寝付きの悪い)子供が寝た後のわずかな時間、夫婦でひたすら息子への対応を話し合う日々。夫婦の会話の80%は長男のことで、15%が家のこと。次男について話すのはほんの5%くらいで、ごめんねと毎日思う。

些細なことを嫌がって泣いているときに、厳しく突き放して自立を促すのか、大したことではないので欲しがるものを与えてしまえば良いのか、与えずに抱きしめれば良いのか、ルールを作ったら変えてはいけないのか、子供も日々変わっていくのだからと親も柔軟に変化していって良いのか。
正解がわからないことへの不安と焦り。辛さも不快さもきちんと説明できないから、甘えているのか人より強い不快を感じているのか、わからない。

お店で走れば「躾をされていない子だと思われ大人に恫喝されたら可哀想。」、
おもちゃをシェアできなければ「わがままな子と友達に嫌われたらどうしよう。」
弟を叩けば「生まれつき意地悪な子だったらどうしよう。」と、毎日考える。

でも、いっぱいリサーチして、記事を読み、本を読み、専門家の意見を聞いて、人とは脳の仕組みが違うんだということを深く理解すればするほど、長男への向き合い方が変わっていった。脳の仕組みが分かってくれば原因も分かってくるから、対応にも迷いがなくなってきた。(まだ迷うけど)
診断名がつけば、リサーチだってもっともっとやりやすくなるだろう。
同じ困りごとを抱える仲間と繋がりやすくもなるだろう。
長男にとってのベストな環境だって選びやすくなるかもしれない。
遠くない将来に、勘の良い本人に何をどうやって伝えるかも、そろそろ考えたい。、

この子のことを、もっと理解したいだけなんだよ

この子が他の子と違うことを受け入れられなかったとかでは、全然ない。私たち夫婦は長男をずっと受け入れてきた。もしかして、全力で、必要以上に受け入れようとしすぎたかもしれない。大好きだから、もっと理解したくてしたくて仕方なかった。どのように違うか、もっともっと知りたかっただけなんだ。
だってそうすれば、彼のことが理解できるから。気持ちに寄り添えるから。彼の美しい人生を、できるだけ心地よく、鮮やかに、スムーズにしてあげたかった。

眠れなくてクマができているのに、目を爛々とさせて、不機嫌なまま遊びに熱中する幼児は、本当はすごくしんどいのではないのか。
楽しそうに学校に通っているけど、終わると興奮状態で、瞳孔が開いたような瞳で家の周りをぐるぐる走り回るあの子にとって、本当は学校はしんどい場所なのではないか。
本人はまだ説明できるだけの経験と言葉を持たないから、誰か物知りな人に教えて欲しかった。

「本当は本人だって、静かに穏やかに過ごしたいのでないのでしょうか?」
「何もしないでぼうっと休みたいのに、休み方が分からないのではないのでしょうか?」
「あんなに脳も体も活動し続けて、本当は泣きたいくらいに疲れているのではないのでしょうか?」
「どうしたらあの子を安らいだ気持ちにしてあげられるの?」
「どうしたら、ふんわりと包んであげられるの?」
「どうしたら?どうしたら?どうしたら?」

だから今、6年分の自己リサーチしてきた知識と観察記録を持って、専門家にとうとう向き合い、医療機関での診断を待つのは、とても清々しい気持ちなのですよー。
と、世界に向けて大きな声で知らしめたい気分。

(現在結果待ちだけれども、お医者様との初診面談と、アセスメントをしてくれた作業療法士さんの両方から、ギフテッドもしくは2eの疑いが濃厚と言われている。診断待ちの間にギフテッドについて調べれば調べるほど、「発達障害グレーだと思ってたけど調べてみたらギフテッドだった」という例、「発達障害グレーと誤診されている例」が、日本ではとても多いのではないかと思うので、もやっている保護者さんの参考になれば嬉しいです。)

タイトルとURLをコピーしました