ニューロダイバースのきょうだい児をお持ちの親御さんなら、一度は妄想したことがあるのでは?
この子が一人っ子なら。
きょうだいと上下が反対なら。
年齢差がもっと大きければ。小さければ。
育てにくさは違ったのではないか?
きょうだい児への消えない罪悪感
きょうだい児。
長男がニューロダイバースだと分かってから知った言葉だ。
きょうだい児とは「病気や障害を抱える兄弟姉妹を持つ子どものこと」(ウイキペディアより)だ。
家族内に特別なケアが必要なメンバーがいた時に、その家庭の中の子どもは、子どもながらに様々なものを背負うことがある。
実際、私や夫の注意はどうしても長男に向いてしまうので、次男の気持ちを汲み取れていないと言う罪悪感を常に感じている。
子どもについて考える時間の8割は長男のことだと思う。
学校での心配や将来への心配はもちろんだが、それ以上に気持ちを持っていかれるのが
「いかにして機嫌を損ねずに日々を過ごすか」
だ。
この、地雷でいっぱいの野原をそおっと歩いているような日々の感覚は、情緒の安定しない子ども、こだわりの強い子どもを持つ親なら共感してもらえると思う。
朝の起こし方、朝食のメニュー、急がせる時の声の掛け方、遊ぶ時にどれくらい勝たせるか負けさせるか、ランチの中身、オヤツのメニュー、着替えのさせ方、泣いた時の対処、お出かけするタイミングや移動手段、もう本当に、一挙手一投足が決断の連続だ。
そもそもの地雷に加え、弟への嫉妬心と競争心が人一倍強い長男の前では、見ている前で次男を褒めすぎない、歯磨きや着替えの手伝いは長男を先にする、おやつは完全に同じ量、公平な分け方にする、などなど。
気を付ける点がありすぎるし、今日は大丈夫でも明日はダメとか、もう本当に本当に、山のように地雷が散りばめられているのだ。
これだけ地雷があれば、どうしたって長男寄りの決断になるに決まっている。
旅行に行くときは「長男が楽しめる場所」(楽しめないと癇癪を起こして帰りたいと騒いでみんな楽しめたくなる)へ「長男の大丈夫な方法」で(車酔いの激しい長男のためドライブで遠出はできないし、とりわけ山道は避ける)行くしかないし、引越しも、「長男のライフスタイル優先」で「長男に合う学校を探す」ことになる。(次男は多分、どこでもやっていける)
言葉通り、「世界は長男を中心に回っている」のだ。
そして長男に振り回された後に残るのは、疲労感と、おざなりにしてごめんね、という次男への罪悪感だ。
ひとりっこだったら?
SNSでニューロダイバースなひとりっこを育てている保護者の方を見ると、「全振りできて良いな」と思うことがある。(ないものねだりなのは承知の上で!)
育児に全力参加したい私と夫。
全振りできるものなら、もう徹底的に長男に付き合い、完全に環境調整し、合理的配慮を学び、変化を見てみたい誘惑は常にある。
完全に長男を中心にし、彼が快適なように全てを揃えてあげたらどんな風になるんだろう。
それは、キャラクターものなんて毛嫌いしていた自分が、子どもが喜ぶからと気付けばトーマスのパジャマを買ってた、あの気持ちの延長だ。
一人っ子だったら、学校の帰り道にどれだけ寄り道しても、のんびりと気が済むまで付き合い、ポケモンしりとりを気が済むまでやって、不安がなくなるように夜はピッタリとくっついて寝てあげる。
興味のあるものは一緒に調べ、じっくりと2人で本を選んだり、ビデオを見たり、そんなふうに育てられたら、もしかしてもう少し穏やかだったのかな。
想像するのが止められない。
どれも、次男がいると出来ないことばかりだ。
せいぜい月に1度、半日くらい2人きりでお出かけするくらいが関の山。
帰宅すれば、甘えん坊の次男が待っていて、1秒後には「これは僕のママー!!」が始まる。
長男が下の子だったら?
これは自慢なんだが、うちの夫は本当によくできた人なのだ。
愛と思いやりに溢れ、よく働き、よく動く。
仕事もできる上に家事も育児も私と同じくらいよくやってくれる。
そして、次男は顔も性格も夫に瓜二つなのだ。
だから、次男がお兄ちゃんだったら、ものすごく弟の世話をしてくれたと思う。
弟がわがままを言っても優しく聞いてあげて、親を助けるためにたくさんお手伝いしてくれただろう。
長男のあの競争心も、相手がお兄ちゃんだとしたら、むしろ憧れとして頑張る原動力になっていたかもしれない。
親としては、生まれる順番が違っていたらもっと楽だっただろうな、と想像するのだ。
しかし、よく考えれば考えるほど。
楽になるのは親だけで、次男はきっともっと多くの我慢を強いられただろうとも思う。
ありとあらゆる場面で、自分の欲求を抑え、弟に譲り、静かに隠れて泣くような子だと思う。
そう思うと、これでよかったのだろうな。
今でさえ次男が背負っている理不尽な大変さを、親が代わってあげられるものなら、代われる分だけでも代わってあげたい。
だからやっぱり、生まれてくる順番、間違えなかったね、ということにしょう。
合理的配慮とは
長男の幼児期、本当に色々と大変で、育児書を色々と読んだし、ネット検索もしまくった。
褒め方叱り方の講座も受講したりした。
だがしかし、どれも効果を感じられなかった。
いや、効果がないわけではないのだが、ピンとこないと言うのが近いだろうか。
じわりと変わる感じはなくはないのだが、表面だけが変わったというか、根本的な変化とか成長みたいな感覚がなかったのだ。うまく言えないけれど。
そして長男のニューロダイバースを知った時に、そもそも脳の作りが違うので、定型発達児とは異なる導き方が必要なのだと知る。
合理的配慮というコンセプトを理解したときは、今までの自分がーん!となった。
この「合理的配慮」の難しさは、また長くなるので別な日に書く。
がとりあえず、例えばで言うと、「ニューロダイバースの長男には、定型発達の子どもとは比べ物にならないほどの強い衝動があり、それは長男が我儘とか思いやりがないとかでなく、脳の違いであって、本人も御し難く辛いので、辛くならない方法を共に考えよう」というようなものだ。
育て方の違い
例えば次男であれば、「それはダメだよ」と伝えて、泣いても放っておけば5分もたてば気持ちを切り替えて代替手段に気持ちを持っていける。
だから、悪いことをしたときは割とキッパリと、ダメだよと伝える。
しかし長男にそれを伝えるには、その後30分間ほどの怒り、暴れ、叫び続けるのに、寄り添い、抱きしめ、見守りながら時を待つ、と言うことをする覚悟が必要となる。
その間、次男を安全なところに避難させるのだが、次男も不安だからママと一緒にいたがるし、長男は絶対にママが近くにいないと落ち着かない。
さらに次男がママに抱かれているのは気に入らず、日に油を注ぐ結果になるので、泣く次男を無理やり夫が引き剥がして別室に連れて行く。
みたいな光景だ。
そうなる可能性を承知の上で「だめ」を伝えるのだ。
当然ながら長男に対しては「choose a battle」(戦いを選ぶ)となる。
つまり、どうしても許してはいけないものだけを選んで注意するということだ。
些細なことは後回しになっていく。
例えば食事中のマナーみたいなことは、食べながら足で弟を蹴る、に比べれば良しとなってきたりする。
小さいことを注意し続けるのは彼の気持ちも傷つくだろうし、そもそも小さいことまで言い出すと、食事中ずうっっと叱り続けることになりそうだ。
そういうわけで、恥ずかしい話だけれど、(発達による筋緊張の弱さもあるだろうが)長男の食事マナーはひどいものだ。
一方、次男は伝えれば出来る子なので、食事中のマナーも本当はそろそろちゃんと教えたい。
真っ直ぐ座ろうとか、いただきますをしようとか、食べたらお皿を下げるとか、ちょっとした声かけを続けさえすれば出来るのだ。
しかし、長男には注意しないのに次男にだけ注意すれば不公平に感じるだろうし、両方に注意して次男だけが出来ると長男は面白くないし。
で、だんだん次男にも、言えば出来ることでも言わなくなってきてしまう。
これではいかんと思いつつ、どうして良いかわからない今日この頃。
出来ることなら、専門家にまる1日一緒に生活してもらって、場面場面での正解の対応を教えてほしい。
そんなサービスないかなあ…。
次男から見た長男
今の所、次男は長男を崇拝している。
兄弟あるあるだと思うけど、長男を、一番かっこいい男の子、と思っている。
ことあるごとに、長男に貢物をしたり、褒めたりして、歓心を買おうと必死だ。
それはもう、涙ぐましいほどに。
あんなに意地悪されているのに…。
これが、これからどのように変化していくのか。
仲良く助け合う兄弟になってくれることを心から祈っているが、次男がカサンドラのようになるのも心配だし。
もう、どの神様かわからないけど、神様お願いしますよー!!
という気持ちです。ぐすん。
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