NZ小学校:待ち時間の少ない体育の授業

NZライフ
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昨日、学校のアイススケートレッスンを見学に行った話を書いたけれど(ママの姿は緊張が解けるトリガー)、レッスンを見ながら、しみじみと思ったことがあった。
それは
待ち時間が少なくていいなあ
ということだ。

どんどん動いてみる

子供達は準備が出来た順に、次々とスケートリンクへと飛び出していく。
リンクには数種類の障害物が並べられ、ぐるぐる回れるようにコースが作られている。
氷の上にコーンが置かれていて、ジグザクに滑ったり、氷上にサークルが描かれているところは、丸く1周回ったり。

子どもたちは、説明を受けることもなく、どんどんとコースを回り始めた。
2クラス合同なので50人ちょっとの子どもに対して、インストラクターのお兄さんが3人。
担任はスケートをせずに、リンクの外から見ている。

おそらく先週も同じことをやったのだとは思うけれど、リンクに入ってきた子に対してコーチが口頭でちょっと声を掛ける程度。
子どもたちがどんどん動き、後から来た子もそれを見て同様に滑り出す。
子どもたちの様子も、みんな本当に自由で、びっくりを通り越して笑えてくる。

やがて、いったん片側に集まってから反対側に向かって一斉に滑ったり、氷鬼(氷上の鬼ごっこ。鬼にタッチされたら固まる)をしたりするのだが、一斉に止まるとか、集まって話を聞くとか、とうとう一切なかった
コーチは時間になると手でメガホンを作って口に添え、口頭で指示を出す。
子供達はわらわらと動き始め、指示を聞いていなかった子たちも、なんとなく周囲を見て真似するうちに次の行動に移る。

1時間弱くらいのレッスン時間なのだが、その間、子供達はずーっっと絶え間なく動いているのだ。
止まって話を聞いたり、自分の順番を待つ時間は、ほぼゼロ。
週に1回1時間、学期中に5回しかないのだが、みんななんとなく滑れるようになるのも、頷ける。

それぞれのペース

子供達はどの子も、自分のペースで気ままに滑っている。
本気で真面目にやる子がいるかと思えば、わざと思いっきり転んではケラケラと笑っている子、隅っこに行って座って歌を歌ったり、削れた氷の粉を集めて雪合戦を始める子。

危険な様子や、他の子に迷惑をかけそうな様子があれば、インストラクターがすうっと近寄って行って耳元で何か囁くくらい。
たまに転んで泣いてる子が、リンクの外で待っている担任のところに連れて来られるが、しばらくするとまたニコニコとリンクに戻っていく。

障害物レースを思ったよりも器用に滑っていた我が家の長男だが、せっかちが募って、他の子を追い抜かしまくっていた。
ジグザクに進むセクションで、ちょっとゆっくりな子がいるとそのセクションはぴゅっと飛ばすとか、それはもう、やりたい放題だ。

一瞬、親として恥ずかしい思いに駆られそうになったが、よくよく見ると、やりたい放題しているのは我が子だけではなかった
ゆっくり滑っている子は、お友達と手を繋いでふざけながら滑っているので、抜かされても全然気にしないし、スピードを出したい男の子は、楽しそうに何か叫びながら、ガンガン順番抜かしをしている。
ヤンチャな男の子は、上手にすべれもしないのに、思いっきりスピードを出そうとして盛大に転び、そのままお尻でソリごっこをはじめてたりとか。

私の子どもの頃…

自分が子どもの頃の、学校の水泳授業を思い出した。
水の中で泳げる時間なんて、1時間の中で15分もあっただろうか。
とにかく濡れた体で体育座りをしてレーンの前に並ばされ、自分の番になるまでブルブルと震えていた記憶しかない
体が冷えて縮こまっているから、自分の番が来たって、体がうまく動くわけもなかった。
最後の10分が遊べる自由時間だったのだが、それさえも、「安全のため」(?)2つのグループに分けて5分ずつだったような。
あれは一体なんだったんだ…。

我が子のアイススケートの授業を見ながら、
「これ日本だったら、区切りごとにいちいち整列させられて、分かりきっている説明を聞き、ぶつかって転ぶと危険だからと1人ずつ十分な間隔を空けて滑り、ふざけてたら叱られるか、下手するとリンクの外で待機させられそうだな…」
と思っていた。

少なくとも、私の子どもの頃の学校だったら、そうだったと思う。
今の小学校は随分と変わってきているという話も、昭和のままだよという話も、両方聞きますが、どうなんでしょうね。

待ち時間の長さ

私自身は、幼稚園の頃には既に、待ち時間の長さに辟易していたのをはっきり覚えている。
ありとあらゆるアクティビティで、長ーい待ち時間や説明時間があり、お行儀よく静かに姿勢良く待ちましょうね、と教えられる。

小学校に入っても、体育はとりわけそう感じていたけれど、国語算数理科社会、もう全てに置いて、とにかく待つことが退屈で退屈で仕方なかったが、それが、私の時代の日本だった。

だからいまだに日本で私は、バス停でも電車の中でも病院の待合室でもレストランでも、
「子どもにお行儀よく静かに待たせなければ、私の育児は失敗と思われるし、この子は躾けてもらえなかった可哀想な子と思われてしまう」
という、見えないプレッシャーに脅かされ続けている。

とりわけ発達凸凹っこにはお行儀よく待つって至難の技だ。
しかしそもそも本当は、退屈な時に何かできることを探させる方が、子どもにとっての発見も経験も大きく前進するはずと思う。

待ち時間に好奇心と行動力を抑えないで良い社会。
これに関しては、本当にニュージーランド好きだなあ、と思うのだ。


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